新潟県 39駅 の中で 17番目 に開業した駅   越後市振いちぶりの関 

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【 親不知と市振の関で知られた 国境の駅、大型トラックには絶好の休憩スポット。】

鳥瞰図
国道8号は道の駅から1km西で境川を渡り、ここで新潟県(越後国)から富山県(越中国)に入る。道の駅から1200m東(北陸本線の市振駅から500m)にある市振漁港近くの集落が関所のあった場所だ。
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寛永年間(1624〜1645)に幕府の命令を受けた高田藩主の松平光長が開いてから明治二年(1869)に廃止されるまで、旅人を厳しく取り締まっていた。遺構は既に失われ、現在では関所跡に石柱と説明板が立っているのみ。また境川を越えた富山県の朝日町にも加賀藩が設けた関所があり、加賀藩直轄地として国境警備の拠点を置いていた。約一里(4km)の間隔を置いて二つの関所が対峙していたことになる。
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糸魚川方面から西へ、国道8号ルートを辿る場合は親不知の長い隋道を抜け、山沿いの道を過ぎて平地が広がる富山の朝日町に下り始める地点に道の駅がある。道の駅を素通りする高速北陸道の場合は90%以上がトンネルなので楽だけれど、風情の一欠片もない。長い市振トンネルを抜け、境川鉄橋を渡る400mだけ地上に出て再び境トンネル → 越中境PA → 城山トンネルを経由する、全く展望の閉ざされたルートとなる。
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駅舎のすぐ裏には北陸本線の線路が走っている。500mほど東の市振駅は1日の平均乗降客数50〜60人程度の無人駅で、駅前に駐在所があるだけで近くの市振漁港周辺にも店舗は見当たらない。
西2kmの加賀藩側関跡の近くには雑貨屋があるが、閉店時間が早いため実質はこの道の駅売店が近隣で唯一の小売店だ。

基本データ

糸魚川市大字市振1035  025-564-2922  休業:1/1〜1/3  国道8号沿  日本橋から一般道で 297km

リンク先
近くの駅は
駐車場

公称は大型車8台+普通車60台、国道に直接面しているため大型車が多い。スペースは充分だが、積雪があると混在になる。

騒 音

普通車用Pは国道からやや離れているため比較的静か。P泊にはシーズンを問わず食堂の前(駅舎側)がベストだ。

物産館

8〜21時(12〜3月は20時まで)、多少の土産物や地場産品を付加した小さなコンビニだと考えれば間違いない。

食事処

8〜21時(12〜3月は20時まで)、プロドライバー向けの大衆食堂を少し上品にした感じだが味にもボリュームにも不満はない。
  メニュー例:うどん400円〜天玉そば500円・ラーメン500円〜チャーシュー麺750円・ヘルシー定食600円〜タラ汁定食900円。

軽 食

食事処が軽食を兼ねている。ただし、ソフトクリーム・ビール程度。

休憩施設

軽食コーナーに同じ。テーブルが数台置いてあるが売店と軽食堂を兼ねているため落ち着いた休憩は無理。

トイレ施設

棟続きの24時間トイレは施設も整っており管理も行き届いている。障害者兼用を含めてウォシュレットの設備なし。

入浴施設

駅の敷地とその周囲には入浴できる施設は見当たらない。
約3km西(富山県)の旧街道分岐近くに リゾートホテル地中海、8〜21時半・無休、大浴場も露天も絶景。シャンプー類完備。
  500円(休憩は+200円)。周辺は入浴施設が少ないため貴重。近くの海岸でヒスイが拾える、かも(笑)。

犬の意見

駅舎の左手に小さな緑地公園があるだけ。裏手は北陸本線なので散歩するには国道8号の歩道を利用するしかない。

近隣の見所

折角だから市振の旧街道を歩いてみよう。関所跡・芭蕉が泊まった桔梗屋跡・芭蕉の句碑がある長円寺・宿場の入口を示す
  松などは風情がある。  芭蕉の句碑 一つ家に 遊女もねたり 萩と月
  富山側の「リゾートホテル地中海」手前の旧街道沿いには加賀藩の境関所跡があり、小学校の廃校が資料館になっている。
  このローカルな場所で駐車料金300円は少々非常識に思える。市振の関所跡Pは無料だよ!
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この周辺の越中境海岸もヒスイの原石が拾える事で知られている。たぶん滅多に見つからないのだろうが探すのも一興か。
  道の駅親不知の東に流れ込む青海川(ヒスイの産地)と富山との県境に流れ込む境川は両方とも源流部が犬ヶ岳(1593m)の
  近く(地図)で2km程しか離れていない。地質が似ているためじゃないかと思うのは素人の浅知恵か。

P泊する時の
総合評価
 ★★★★★★★★★★   EV車充電・可、Wi-Fi接続・不可、 新潟県で EV充電できる道の駅」を参考に。


     

        左: 敷地の西端から売店のある糸魚川方向を撮影。右側の国道沿いが大型車の駐車スペースで、夜間は停泊するトラックで満車状態になる。
公式には大型車の駐車場は 8台だが、売店の前を含めると20台程度は停められるためプロ・ドライバーには好評らしい。
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        中: 向って左側のメイン駅舎には休憩室兼インフォメーションセンター、右側のトイレから東側にある売店と食堂まで屋根付きの連絡通路がある。
        右: トイレ棟の前から富山側を見た風景。右奥の建物は除雪ステーションで、積雪時期には糸魚川から富山県境までの国道を守る強い味方だ。


     

        左&中: 駅舎と除雪ステーションの間には緑地が設けられている。広くはないが敷地の中では唯一の緑、日本海を見渡す展望台も兼ねている。
        右: 駅舎の前は軒の出を大きく確保して悪天候に対応している。この通路は突き当たりの食堂と売店まで伸びる回廊に繋がっている。


     

        左&中: メイン駅舎一階の情報コーナーはタイル床でちょっと寒々しい。ビジュアル機器が完備しテーブルも整っているから弁当を持ち込んでの
休憩にも対応している。道の駅のベーシックモデルを見るようで、これは個人的には好きなスタイルだ。
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        右: 二階はパネルを活用した親不知周辺の紹介と近隣の紹介コーナーで、結構見応えがある。一階の情報コーナーと同じく20時で閉鎖となる。


     

        左: 二階紹介コーナーの右側壁面。親知らずの詳細と琥珀に関する情報など地質の情報も教えてくれる真面目なコーナーだ。
        中&右: 紹介コーナー窓のすぐ下には北陸本線が走っている。その先は日本海、右の隅には遠くに連なる親知らずの断崖が見える。


     

        左: 駐車場から右手の食堂と売店の棟を撮影。この右側にも広い駐車場があり、数分歩くとJR北陸本線の市振駅、さらに数分で市振漁港に着く。
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        中: 一般的にはこちらが道の駅の中枢部分で、回廊に続いている手前が食事処。値段も比較的安くてボリュームがあり味も悪くない。三拍子揃った
店は滅多にないが、トラックやタクシードライバー御用達の穴場が見つかる事がある。昔住んでいた大宮バイパスの近くにもあったなぁ...
○○年も前だからもう遠い昔に無くなっているだろうけど、若かった頃の甘酸っぱい思い出だ。
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        右: 食堂の隣が売店で、ここは近隣の買物場所とともに、通過車両にはコンビニの役目も果たしている。もちろん富山地方の名産もそれなりに。


     

        左&中: もう見た感じは100%コンビニで、店内はよく整理されている。営業は8時から21時・年中無休だが積雪が多い日などはその限りではない。
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        右: 糸魚川方向へ向うスノーシェッドのスナップ。積雪の場合は「道の駅親不知」手前にある展望台付近の下り坂が最も難所で、その手前1km
近くはスノーシェッドだから注意を怠らなければ危険はないが、くれぐれも安全運転を。


     

        上: 2007年の大晦日が近づいた雪の日のスナップ。世間では冬の休暇に入り、トレーラーが一台だけ停泊中。


     

        左&中: 2007年の大晦日が近づいた雪の日のスナップ。世間では冬の休暇に入り、トレーラーが一台だけ停泊中。
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        右: 関所跡に建つ立て札。もちろん江戸時代のものではなく、仮名遣いも現代風に改めている。無事に関所を過ぎて東に向う旅人は親不知の磯に
踏み入り、打ち寄せる波の合間を見計らいながら岩から岩へと走って難所を越えた、と伝わっている。


     

        左: この画像は越後川の関所跡。駅から1.2Km東の漁港のすぐ前(ルート地図)の旧街道沿いにある(駐車スペースあり)。
一方で富山県側関所の旧跡は朝日町旧道沿いの2Km弱西(ルート地図)にある。ここは小学校廃校跡地で、散在していた遺構をここに集めたもの。
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市振の語源には諸説あり、代表的なものとしては @越後に入って「第一番の振り出し」とする説、A天孫降臨の先頭を務めた猿田彦命(道祖神)は
旅の安全を司る「道触神」(ちぶりのかみ)に「威」を冠して「威道触(いちぶり)」とした説、その二つがある。
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        中: 市振の関の古絵図(上越市立高田図書館収蔵)は柵が海岸まで張り出している姿を描いている。険しい崖が海まで迫る地形を利用して陸路の旅人
のみならず船舶までを管理下に置こうとした意図が窺える。当時の関所には女性の旅人をチェックする「改め婆さん」と、親不知の風波を見て通行の
通可否を判断する「波見婆さん」が常駐し、更には海上を監視する遠見番もいた、と伝わる。越後に入る旅人は親不知に向かうために心を引き締め、
越中に入る旅人は難所を越えて安堵の吐息を漏らしたことだろう。越後へ向う場合、海が荒れていれば何日もここに足止めされてしまう。
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        右: 奥の細道を旅した芭蕉は元禄二年(1689)7月12日に市振の桔梗屋に投宿、「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」と詠んだ。
この夜、たまたま同宿(同衾ではない)した伊勢詣でに向う二人の遊女と夜遅くまで語り合った情景である。翌朝に芭蕉一行は長旅が不安な遊女に
同行を請われるが、自分たちは漂泊に近い旅だからと断っている。「萩と月」が何を意味するのかは判らないし、果たして本当に芭蕉の創作か、など
諸説があるらしい。桔梗屋(市振漁港前の関所跡から更に200m東)は大正三年(1914)3月の大火で焼失し、跡地(地図)に句碑が建っている。
もちろん彼女らのその後の消息は判らない。 「奥の細道」には次の記述がある。 芭蕉、この時は45歳。
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   「 今日は 親知らず子知らず 犬もどり 駒返しなど言う 北国一の難所を越えて つかれ侍れば 枕引きよせて寝たるに 」