当サイトのトップ頁は http://kamakura-history.holy.jp/frame-000.html です。
.

建長七年 (1255年)
.
前年・建長六年 (1254年) の吾妻鏡 へ       翌年・慶長八年 (1256年) の吾妻鏡
.
吾妻鏡 写本 (伏見本) の全ページ画像 を載せました。直接 触れるのも一興、読み解く楽しさも味わって下さい。
.
トップ頁は フレーム表示の 吾妻鏡を読む です。タグ記述を Google Crome に変更して誤字、脱字、行間を改善しました。

.
下線なしの青文字 はサイト内での移動です。下線付き青文字 は Wiki、公式サイト、参考サイト、地図 など、別窓での表示です。
.
西暦・天皇
和暦・月日
吾妻鏡に記載してある内容の意訳、関連する情報、補足事項など
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
月 日
.
史 料
.
この年 吾妻鏡の記載なし、散逸と推定される。気付いた史料のみを列挙する。.

.
   ※年令: 六代将軍 宗尊親王 (第88代後嵯峨天皇の第一皇子) は建長四年 (1252) 4月着任、12歳、
五代執権 北條時頼 28歳、 連署は数年前は六波羅北方だっ た北條 (極楽寺) 重時 57歳、
後任の六波羅北方は重時の嫡子で後に六代執権になる 北條 (赤橋) 長時 24歳、
七代執権になる北條政村 50歳、後に評定衆として長時を補佐する 北條 (金沢) 実時 30歳、八代執権になる北條時宗は今年6月で 5歳、異母兄 (後の時輔) は 6歳、
.
安達泰盛 24歳、 千葉頼胤 15歳、 足利泰氏 39歳、 小山長村 39歳、結城朝光は前年 2月に死没 (享年84) 、結城朝広 64歳、 宇都宮泰綱 53歳、
.
浄土真宗 親鸞は82歳、 天台宗寺門派 (園城寺) 隆弁は46歳、 真言律宗 叡尊 54歳、
真言律宗 忍性は38歳、法華宗 日蓮は33歳、
.
89代 後深草天皇は13歳、 先帝の 後嵯峨上皇は34歳、摂政太政大臣 鷹司兼平は28歳、
太政大臣 西園寺実氏は61歳、関東申次は西園寺家の世襲となる。関白の 二条良実 (37歳) は 宮騒動 (Wiki) の余波で辞任となったが、弘長元年 (1261) には関白に復帰する。
.
以後の朝廷は 五摂家 (近衛家、一条家、九条家、鷹司家、二条家) の合議分担体制となる。
.
                     (表示は全て 1/1時点の満年齢)
.

.
   宝治合戦 (1247年) で三浦一族が滅亡した後に執権 時頼 は極楽寺流の祖 北條重時を六波羅の
北方から呼び戻して連署に任命した。
六波羅北方の後任は (赤橋) 長時。重時は建長八年 (1256) に出家して政界を退き、時頼の後継は六代 (赤橋) 長時と七代 政村を経て八代 時宗 (建長三年、1251年誕生) に続く。
.
強権を握った時頼は弘長三年 (1263) 11月に36歳で死没、5年後の文永五年 (1268) 3月に次期執権に就かせる時宗の道筋を見届ける如き最期を迎える。それにしても、三代泰時 (58歳で病死) 以後の義時直系 (北條嫡流) 執権の寿命は驚くほど短い。
.
四代経時 23歳、五代時頼 36歳、八代時宗 33歳、九代貞時 40歳、十代師時 35歳。本当に激務の故か、繰り返した血族結婚の弊害か、怨みを抱きつつ滅ぼされた人々の祟りだろうか。
.
嫡流以外の執権および鎌倉陥落と運命を共にした高時と貞顕と守時の没年は次の通り。
六代長時 34歳、七代政村 68歳、十一代守宣 52歳、十二代煕時 36歳、十三代基時 46歳、十四代高時 29歳、十五代貞顕 56歳、十六代 守時 37歳 、
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
2月12日
.
史 料
.
興福寺の衆徒が 東大寺 (共に公式サイト) を襲って房舎を破壊した。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
2月21日 戊子
.
百錬抄
.
大宮院が去年の閏五月に御産した際の祈祷の礼として院の御随身 (近衛府の官人) らによる 石清水八幡宮上賀茂神社下鴨神社北野天満宮に其々五番の競馬を奉納する立願をした。
これに伴って今日賀茂上下社で競馬が奉納された。(青文字は全て公式サイト)

.

.
   ※大宮院: 88代後嵯峨天皇の中宮で後深草、亀山両天皇の生母 西園寺姞子
去年産まれた雅尊親王は2年後に死没する。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
2月24日 辛卯
.
百錬抄
.
北野天満宮に於いて、院の御随身による五番の競馬が奉納された。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
3月 8日 乙巳
.
百錬抄
.
後嵯峨上皇と大宮院が熊野参詣の途に就いた。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
3月21日 丙寅
.
百錬抄
.
相模守 北條時頼が1000人に勧進を求め、建長寺の梵鐘を鋳造した。
.

.
   ※建長寺の梵鐘: 創建当時の鐘が現存する。高さ209cm、開口部
の直系は 118cm、開山の 蘭渓道隆が銘文を著し関東の著名な鋳物師 物部重光が鋳造した。
.
建長寺は鎌倉を代表する禅宗寺院だが、鎌倉最初の臨済宗は大船の 粟船山常楽寺。5年も早い建長二年 (1250) に 退耕行勇が元々の密教の仏堂を臨済宗に改めている。訪問の際は山門扁額にある 「建長素堂」 の確認を。元祖、を主張している。
.
 右は国宝の梵鐘 (クリック→ 別窓で拡大)
.
山門すぐ右側の鐘楼は数少ない創建当時の遺物ではあるが寺域全体は余りに騒々しくて、個人的には好きになれない。
建長寺は臨済宗、 同じ禅宗でも福井の 永平寺 (曹洞宗) を訪れて感じる様な、禅宗らしい張り詰めた雰囲気は感じられない。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
3月29日
.
鎌倉幕府法
.
遠国での訴訟に関し、問注所から召喚状を送付したにも拘らず、理由なしに五ヶ月 (150日) が過ぎても出頭しない場合は、原告の訴状の通りに裁決する。
また、近国での訴訟は召喚状の日付に依拠する。対決した後に両者が判決を避けて二ヶ月 (60日) が過ぎた場合にも裁決を下す事と定め、その趣旨を通達する。
.
         建長七年 3月29日  相模守 北條時頼  陸奥守 北條重時

.

.
   ※鎌倉幕府法: 御成敗式目 (貞永式目) を中心に関連する法制史料を収集掲載した近世の書籍。
鎌倉時代の法制研究に必要なら、簡易版の古本は2,000円以内で入手できる。
私は古本を持っているが、ごく稀に開く程度。
通常は ネットの 現代語訳 「御成敗式目 」 全文 だけでも特に不満も感じない。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
4月 1日 丁卯 
.
百錬抄
.
後嵯峨上皇が熊野から還御。御軽服 (去る二月の六條宮 死去) のため伏見稲荷参詣は中止された。
.

.
   ※六條宮: 後鳥羽上皇の皇子で84代順徳天皇の同母弟 雅成親王
.
   ※伏見稲荷参詣: 上皇の熊野参詣の際は 糸我稲荷神社 (有田市、地図) に立ち寄って奉幣し旅の
無事を祈るのが習慣で、帰路は 伏見稲荷 に奉幣拝礼するのが通例だった。
今回は服喪のため中止、との事。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
6月15日
.
皇年代略記
.
大流星があった。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
8月 9日
.
鎌倉幕府法
.
人身売買により没収した銭は全て大仏に寄進とする。諸国からの徴収が煩わしいとの意見もあり、地頭を経由しての送付と定める。 
     建長七年八月九日  実綱 判 勘甚 判 寂阿 判  民部大夫 三善 (太田) 康連殿

.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
8月28日
.
皇年代略記
.
法勝寺の塔に落雷があった。
.

.
   ※法勝寺: 京都左京区に建てた、寺名に勝の字を含む六山の祈願寺 六勝寺 (Wiki) の一つ。
吾妻鏡の文治二年 (1186) 6月29日の解説欄に旧跡の地図などを記載しておいた。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
10月17日 庚寅 
.
百錬抄
.
春日大社 (公式サイト) への行幸に備えた巡検あり。左中弁宗雅朝臣らが春日大社の神宝を視察した。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
11月12日
.
皇年代略記
.
地震あり。
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
建長七年
.
12月14日 丁丑
.
百錬抄
.
月蝕があり、全て確認できた。
.

.
.


2025年
.
12月18日
.
晴耕雨読
.
6時半、建長七年 (1255年) が終了。原本の紛失 (多分) で史料も少ないから直ぐに完了ってぇのは楽だけど少し寂しい。
買い物レポートの漏れを追加記入...行きつけのスタンド、レギュラーは税込み 142円でした。
もうひとつ、ドラッグ 「コスモス」 の放出備蓄米は二週続けて欠品中。民営の児童養護施設を運営している知人が 「そろそろストックが切れそうなのに」と悩んでいました。
店頭には 「精米ができ次第に供給します」 なんて張り紙があるのですがねぇ....
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
.
建長七年
.
 月 日
.
吾妻鏡
.
.
記事
.

.

   ※:
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
.
建長七年
.
 月 日
.
吾妻鏡
.
.
記事
.

.

   ※:
.
西暦1255年
.
.
89代 後深草天皇
上皇は 後嵯峨
.
建長七年
.
 月 日
.
吾妻鏡
.
.
記事
.

.

   ※:
.

前年・建長六年(1254)の吾妻鏡へ       翌年・建長八年(1256)の吾妻鏡へ