※新皇将門: 縁起には「親王」とあるが将門に皇族の血統はなく、「新皇」に訂正している。将門は天慶二年 (939) 11月に本格的な反乱に突入、12月には
関東一円を掌握して「新皇」を名乗って即位した。ただし、932年前後に京を離れて東国へ戻る途中の渋谷川 (渋谷区) で叔父の平国香と所領を
巡る合戦を起こし、滅亡する前になって「新皇」を名乗っている。駒形堂の縁起は坂東下向の史実に合せて年代を設定したのだろう。
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※秩父守: 重忠は
河越重頼 が粛清された後に武蔵留守所惣検校職を継承したが「守」の官位は受けておらず、秩父郡も武蔵国の一部なので国守は存在しない。
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※七尺の馬: このまま受け取ると背高212cmの巨大馬になる。ラオウの黒王号(笑)じゃあるまいし、生物学上あり得ないから多分「七寸」の間違いだろう。
背高四尺(約121cm)以上の馬を龍蹄と呼び、四尺を越えると一寸・二寸と呼ぶので七寸は約142cmとなる。
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鎌倉時代にも五尺(152cm)を超える大型馬が (稀に) いたらしいが一般的なサイズは四尺だった。現代の乗馬クラブの馬は150〜160cm、
147cm以下はポニー種の範囲となる。ポニーに跨る甲冑武者なんて想像したくないけど、事実は小説より奇なり。
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※池好: 数多い伝承を残す頼朝の愛馬で麿墨のライバル、映画「戦火の馬」を思い出す。頼朝に下賜された磨墨には
佐々木高綱 が跨り、
木曽義仲との宇治川合戦で
麿墨に跨る
梶原景季 と一番乗りを競った。函南にも池好(池月)伝説があり、詳細は本編に記載してある。