治承年間に義時が建てた観音堂が最初で、正治ニ年(1200)に本尊の阿弥陀如来を運慶に彫らせ義時開基の北條寺とした。伊豆八十八ヶ所の18番札所であり鎌倉建長寺(臨済宗)の末寺である。嫡子・安千代が
領地の池 に棲む大蛇に襲われ命を落とした時に義時が我が子のため運慶に彫らせたと伝わる阿弥陀如来像、政子寄進によるつづれ錦の刺繍などが寺宝として伝えられている。拝観は志納。
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時政の墓は
願成就院 に、政子の墓は鎌倉
壽福寺に、義時の墓は鎌倉の
頼朝法華堂東の山上 と北條寺に...一族の菩提寺ではなく、それぞれが個別に葬られているのが面白い。まぁ北條寺だけは義時の分骨であり、義時の弟・時房を祖とする氏寺を兼ねているから例外、か。(青字はいずれもサイト内リンク)
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願成就院と北條寺は直線距離で800mほど。願成就院から北條邸跡の横を抜けて狩野川沿いの遊歩道をゆっくりと歩き、橋を渡って対岸の伊豆長岡・江間地区にある北條寺へ。ちょうど良い散歩コースなのだが、観光客もここまではなかなか足を伸ばさないようだ。そこに生きた人々やその時代背景に関わる資料を少し調べると、北條寺をはじめ
女塚 や
毘沙門堂など、ちょっと離れた場所も訪れたくなるのに、と思う。