北條時宗庶流の菩提寺 晴雲山成福寺 

左フレームの表示&「鎌倉時代を歩く 弐」 の記載ヶ所へ      「索引」 へ  「旅と犬と史跡巡りと」のトップページへ

.
北條時宗 は元寇(文永の役と弘安の役)による双方の死者16万余人の菩提を弔うため、長男の 北條貞時 には1000体の地蔵尊献納を・庶子の正宗には一切経の写経献納を命じた。この前後に如信上人に出会ってその教えに帰依した正宗は浄土真宗の僧として出家、時宗の没後には鎌倉を離れ伊豆北條に成福寺を建てて両親の遺骨の一部を埋葬し、併せて北條一族の菩提を弔ったという。
.
現在の住職は正宗から数えて21代の北條親善氏、境内に並ぶ蓮鉢(230種・250鉢)は6月中旬〜8月中旬が見頃となる。本尊は鎌倉時代の作と伝わる阿弥陀如来立像。創建は正応二年(1289)5月、当初は時政の号(?)を転用して浄福寺と称したらしいが、時政=浄福なんて資料にも載っていない。
ちなみに、北條時政 の墓所は伊豆韮山の願成就院にあり法名は願成就院殿明盛大禅定門、時宗の法名は宝光寺殿道杲である。
.
  ※元の被害: 文永の役は同十一年(1274)10月、元の兵力は非戦闘員を含めて4万人。そのうち帰還できた者は13,500余人。
弘安の役は同四年(1281)6月、元の兵力は非戦闘員を含めて約15万人。そのうち帰還できた者は19,300余人と伝わる。
.
  ※如信上人: 親鸞の子が善鸞(母は恵信尼)で、その子(つまり親鸞の孫ね)が如信。善鸞が教義に叛いて義絶されたため、親鸞の実質的な後継者となった。
嘉禎元年(1235)〜正安ニ年(1300)、本願寺二世(親鸞の曾孫で本願寺三世の覚如(親鸞−末娘覚信尼−覚恵−覚如)がこれを定めた。
.
  ※正宗系譜: 時政−義時−泰時−時氏−時頼−時宗−正宗−宗仁−義宗−宗願−宗教−教円−教学−念誓−祐誓−岱雲−了悦−宣空−亮宣−
宣淳−寛了−教然−泰明−是教−円竜−秀門−親善

     

           左: 京都 東本願寺 (公式サイト)を本山とする浄土真宗大谷派で、阿弥陀如来を本尊とする。境内も駐車場も広いが国道からの進入路が狭いため
願成就院の手前にある観光用駐車場(地図)から200mほど歩く方が良い。成福寺の他に願成就院・守山八幡・堀越御所跡・北條邸跡・光照寺・
信光寺・真珠院・政子産湯の井戸などが徒歩圏内で、車で移動する手間が省ける。
.
           中&右: 向かって右側から、北條正宗(時宗の子・成願寺の開基)の墓 延慶元年(1308)6月2日没
正宗の母で時宗の妻(東慶寺開基覚山志道尼)の墓 徳治元年(1306)10月9日没
鎌倉幕府第八代執権北條時宗の墓 弘安七年(1284)4月4日没
本来の時宗廟所は鎌倉五山の一位 円覚寺仏日庵(開基廟)。覚山志道尼も仏日庵に祀られているが、松岡山東慶寺(共に公式サイト)
裏山の「やぐら」にも五輪塔が祀られている。
.
※庶子の正宗: ちょっと変だね。潮音院殿覚山志道尼の俗名は堀内殿、時宗の正室だ。彼女が生母なら政宗(三男)は九代執権貞時の同母弟だ。
「庶子」の出典はどこだ? なんで政宗は系図にも載らず資料にも顕れないんだ?
.
※堀内殿: 安達義景の娘で生母は 北條時房 の娘。誕生の翌年に父義景が死没(43歳)し、義景の異母兄・安達泰盛の猶子として時宗に嫁した。


     

           上: 2mほど高くなった石段の上が北條一族の菩提所で代々住職の納骨堂らしい。周辺には大小の五輪塔や宝篋印塔が並んでいるが、表示が
ないため詳細は判らない。数基ある無縫塔(卵塔・鎌倉時代以降の禅宗などの僧の墓に多い)も何代目かの住職の墓だと思われる。
菩提所の他にも北條家と刻まれた墓石が数ヶ所にあった。そりゃそうだ、嫡流だけが北條さんじゃないものね。

この頁は2022年 7月18日に更新しました。