「滅却心頭火自涼」で有名な
恵林寺(公式サイト)の北側、笛吹川南岸の甲斐百八霊場の八番
高橋山放光寺(公式サイト)は元暦元年 (1184) に一族の菩提寺として安田義定が
建立した。甲斐国一之瀬高橋(現在の塩山市・青梅街道北端・大菩薩嶺の北麓)にあった山岳仏教の法光山高橋寺を遷して天台宗とし、伽藍を整備したもの。
恵林寺は夢窓疎石による元徳二年(1330)の開基だから、放光寺の方が150年近く古い。ちなみに、臨済宗の禅僧である夢窓疎石の父は佐々木朝綱(
頼朝 の御家人
佐々木盛綱 から三代目)、母は
北條政村(二代執権
北條義時 の五男)の娘。
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開山和尚は賀賢上人、本尊の大日如来坐像をはじめ不動明王立像・天弓愛染明王坐像(いずれも義定が京から持ち帰った平安期の作)と、仁王門の金剛力士立像二体(鎌倉時代)が国の重要文化財である。本堂左手には宝篋印塔(南北朝時代)が立ち、裏手の拝観ルートには
安田義定 の廟所が設けられている。
天正十年(1582)に織田信長によって恵林寺と共に焼き払われたため境内の堂宇はそれ以後の再建によるもの。
拝観は9〜17時(無休)・300円、予約制で精進料理も頂けるが...財布には厳しい4200円也。
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国道140号の新隼橋北信号先の小道を右へ登ると山門の横に数台の駐車スペースがあり、新隼橋北信号の更に300m北を右へ入ると仁王門の先に駐車場がある(
地図)。恵林寺の駐車場に停めて本道右手から用水沿いに仁王門まで500mほど歩くのも面白い。仁王門の手前には市の文化財に指定された
西藤木の水車 (市のサイト)が動いている。その他、収蔵してる文化財の詳細は放光寺の公式サイトで。
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また、安田義定が殺された経緯と周辺の史蹟については
安田義定の墓所・甲斐雲光寺 と
安田義定自刃の地・小田野山(共に別窓)を参照されたし。
奈良仏師の嫡流である。治承五年(1181)に
平清盛
の兵火で焼失した奈良興福寺の造仏を手掛け、文治元年(1185)に頼朝の招きを受けて
東国に下った。鎌倉勝長寿院の阿弥陀如来像・永福寺の丈六阿弥陀如来像などを彫り、後の慶派仏師が鎌倉で活躍する先鞭をつけている。
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北條時政 が
願成就院(別窓)の造仏を運慶に依頼したのは、源氏嫡流の立場を重視した
頼朝 が定朝嫡流の成朝を指名した事に配慮し敢えて
庶流を選んだため、と考える説もある。放光寺の南1.4Km
(ルート地図))にある字 「仏師原、現在の武士原」 の関係が何とも気になるところだ。
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成朝の仏師団が造仏の拠点としたのが仏師原、義定滅亡後の塩山一帯は
加賀美遠光
の子於曽五郎光俊が領有して於曽氏が数ヶ所の出城を
築き、戦国期には信玄家臣団の雄・板垣氏の支配下に入った。これが仏師原が武士原に転訛した理由、だろう。