この地域は平安時代に筥根権現(箱根神社)の神領となり、天平宝字元年(757)に筥根権現を開いた
萬巻上人 (wiki) の菩提寺・小筥根山新光寺 (廃寺) があった。上人の遷化後に弟子たちが上人の愛した桑原の地 (呼称は小筥根) に七堂伽藍の大寺を建てたものである。廃寺となった時期は不明だが、薬師堂の入口から来光川沿いに300mほど離れた水田の中に礎石が残されている。
その付近には新光寺に使われていたと思われる巨石が無造作に集められているのも目を惹かされた(
廃寺跡の地図)。
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薬師堂本尊の薬師如来坐像は、元々は新光寺の本尊だった。穏やかな表情を浮かべた、名のある都の仏師の作と推定される。60年ごとに開帳される秘仏だったが、2005年頃から土日のみ拝観できるようになり、完成した資料館が収蔵した。保存環境は良くなったが、秘仏として数百年護持されてきた本尊が薬師堂を離れて公開されることには一抹の感慨を感じる。
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本尊の他に平安中期〜江戸期の仏像が20体ほどあり、両側に脇侍を持つ阿弥陀如来像の内部には
實慶 の銘が残る。実慶は承元四年(1210)に修禅寺本尊の大日如来坐像を彫った大仏師で、
運慶 を頂点とする「慶派」の一人である。仏像群の詳細は
こちらで。
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【大仏師と小仏師について】.
権威と実績の有無による区分だが、「造像プロジェクト」のチームリーダー&それを支えるスタッフの意味合いもあるらしい。有力な仏師は朝廷から僧職の地位(上から、法印・法眼・法橋)を与えられ、平安時代中期以降は所属していた寺(東大寺や興福寺など)を離れて朝廷や権力者など各地の需要に応じた活動を始めた。
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仏師として始めて法橋となった
成朝 を筆頭として、慶派の
康慶 と
運慶(共に wiki) などがその代表である。定朝の代表作は平等院鳳鳳堂の阿弥陀如来坐像、武田氏菩提寺の韮崎願成寺本尊の阿弥陀三尊像も定朝の様式と推定されている。
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※桑原薬師堂の仏像:桑原地区から函南町に寄付され、平成24年初夏に
かんなみ仏の里美術館が完成した。入館料は300円(
地図)。